ラウドネス
i-tunesのシャッフル機能をオンにして散歩をするのが日課なのですが、いつもはテーマ別に分けたリストを聞いています。「プログレ」やら「ザッパ」とかで朝から変拍子まみれなのが習慣になっていますが、今日は所有曲の全曲シャッフルで散歩していたところ、まずかかったのがグローバー・ワシントン・Jrの「クリスタルの恋人たち」。しかし何て邦題だ!
この曲の主役は完全にリチャード・ティーのエレピ! ドラムはスティーヴ・ガッドでベースはマーカス・ミラー。サイドマンは全部自身の痕跡を残しているような名演で、本来の主役であるグローバー・ワシントン・Jrが一番どうでもいいですが、朝からこんなオシャレな曲を聴くの久しぶりで、こういう朝も良いもんだと感慨に浸っていたところ、突如かかったのがコレ!
目、覚めちゃいましたよコリャ。気合入りました。
早いナンバーではなくシャッフルというのが良いですね。しかも正直リフがダサいのが逆に格好いい!
この後、シャッフルはオフにしてラウドネスをひたすら聴く羽目になりまして、散歩の速度も速くなりましたが、メタルは散歩に向かないですね。しかもラウドネスは結構変拍子も多かったりして。
LAZY
私の中学生時代は1977~1980年。
その当時のハードロック系のバンドといえば、まだ一応ツェッペリンが現役。その他キッスとクィーン、エアロスミス、レインボー、ヴァン・ヘイレンといったところで、まだヘヴィーメタル勃興前。私の田舎では局地的にスコーピオンズが流行っていたのですが、果たして全国的にはどうだったのでしょう?
日本では山本恭司率いるBOW WOWがいたのですが、途中でポップの路線に変更しておりまして周りに熱心のファンはいなかったですね。
その当時、チャーや世良公則&ツイスト、サザンオールスターズなどがテレビに出始めまして、お茶の間でもロック・バンドが観れる時代になりましたが、私好みのブリティッシュ・ハードロックの影響を受けているバンドなどはテレビに出るはずもなく、実際にハード・ロックでメジャーからレコード出していたバンドはいなかった気がします。
という状況の中で、レイジーというバンドがおりまして、ベイ・シティ・ローラーズのブームの余波の中、アイドルバンドとしてデビュー。頻繁にテレビにも登場していたのですが、普段レインボーなんぞ聴いていた輩には口汚く罵られていました。実際には楽器も超上手いのですが何故か下手呼ばわりされてましたが、私も周りの同調圧力で「レイジーなんて..」という発言してました。まぁ中二病ということで許して欲しいと。
それで、「赤頭巾ちゃん御用心」なんていう完全なアイドルサイドの曲が有名なんですが、今も見ると本当上手いです。この振り付けやりながら演奏できるなんて凄いの一言。ギターのカッティングの音もやるせない感じでたまらないですが、やはりハンバッカーの音はカッティングには向かないですね。
使用機材も中学生にとっては高嶺の花子さんの機材ばかりで、羨ましかったです。ハモンドとギブソンのフライングVですから。
それで歌謡曲サイドのオリジナルばかりではなく、テレビではたまに洋楽のカヴァーも披露していまして、自分の記憶にあるのはレインボーとフォリナーの「ダブルヴィジョン」 動画探しましたが残念ながらなかったのですが、マイケル・シェンカーのカヴァーを発見!!
問題は本家のマイケルよりも上手いことでしょうか。
そしてメンバーも年をとってきてアイドルとしての賞味期限が切れかけた頃に、突如ヘヴィーメタルなナンバーを発表します。
普段は「レイジーなんて..」とバカにしていた中坊達も、実はレイジーが超上手いというのは気づいていまして、この「Dreamer」という曲は楽器少年には概ね好評。
私の世代ではほとんどの人間がコピーしたのでは?という名曲で、そういう私も散々やらされました。初顔合わせのセッションで全員知ってたのがこの曲というシチュエーションは何度か経験いたしました。
全く余談ですが、後年私が所属していたファンク・バンドが何故かレイジーのヴォーカルの影山ヒロノブ氏の前座をやることになりまして、超のつく良い人でした。
その時のライヴハウスの客数が実券で13名。プロの世界は厳しいと思い知らされました。まだドラゴンボールでお子様の人気者になる前の話です。
この曲を発表した当時は、イギリスでは既にアイアン・メイデンがデヴューし、徐々にヘヴィー・メタルのシーンが形作られてきた時期で、日本でもそういうバンドが出ないかなと思っていたところに、レイジーが解散して、中核メンバーが新しいバンドを作るという情報が! 先に音を聴く前に音楽雑誌でアー写が発表になりました。名前も「ラウドネス」と発表!
ラウドネス デビュー
確か当時は、ジュダース・プリーストがようやく衣装を革で統一したくらいの時期で、メタルバンドの衣装も試行錯誤の時期。今見るとGジャンとアニマル柄はダサい気がしますが、元祖ともいえるラウドネスのファッションがコレなので、それをコピーしているアマチュアバンドはもっとダサかった! ヒョウ柄や日章旗、ナチスの鉤十字やメッシュまでなんでもありでした。
そういえば当時はまだ金髪はいなかったですね。
ビジュアルはともかくとして、音の方は極端なハイトーンのヴォーカルと全開の高崎晃のギターテクで一斉を風靡。アマチュアバンドも一斉にラウドネスのコピーに走ります。と言っても、ヴォーカルは1オクターヴ下で歌ってるのが多かったですね。
特に1stと2ndは、今までのフラストレーションを吐き出したような荒々しい曲が続き、気合の入った出来。もう少し推敲していけば聴きやすい内容にもなった気がしますが、ちょっとダサさが抜けきらない部分も含めて好きです。わたくし。
テクニック的な面ではジューダスよりも一段上手いバンドなので、コピーに走ったアマチュアには多大な影響を与えておりまして、特にギターの人は高崎晃のコピーをした人って多いのでは?
ドラムもそうで、今では頻繁に聴くドラムのフィルもラウドネス以降というのが結構あります。
ビリー・コブハムが使うフラム3連というのが一番有名ですが、ロックでの使用例は当時はごく少数で、ハードロックへの応用はサイモン・フィリップスかラウドネスの樋口宗孝が多分初期の有名な使用例。
その他、他ドラマーのフレーズを曲中に効果的に引用してくるのが得意で、一番有名なのはこの曲のイントロ。
ツェッペリンの「Hots on nowhere」で出てくるフレーズですが、ボンゾのはグシャッとした感じですが、ラウドネスがやると粒がはっきりした感じになります。このフィルは好きな人が多いのでしょう。メタル以外でも普通にポップな曲での使用例を多く聴きます。というか、パクってますね、ラウドネスから。 私も「ちょっと派手なフィル入れて」と言われる使ってました。
サビ前のフィルは多分、パープルの「Fireball」の応用。
コンサート
1983年に大学入学で札幌に出てきたのですが、その田舎者が最初に観たプロのロックバンドのコンサートというのがラウドネス。高校からの同期だったM君といそいそと出かけました。
当時2人は半端に髪の毛伸ばしていたのですが(マッシュルームより若干長いぐらい)、このコンサートに来ていた人々は全員立派な長髪! 自分の田舎にも長髪の人は稀にいましたが、1000人を超える長髪を見たのは初めてだったので正直ビビりました。しかもほとんどがGジャンか革ジャン。コンサート中もほぼ全員が右腕を振り上げている状態で、決めのポーズはデビルサイン!
こうでしたっけ?立てるの親指と小指だったかな?ラウドネスの場合。
このコンサートに行く直前にサードアルバムが発表になってまして、ちょっと洋風に洗練されたといいますか、普通に格好いいヘビメタになってしまいまして、私のような捻くれた人間にはちょっとがっかりした内容。若干醒めた気持ちで観に行ったのですが、演奏自体は大変満足のいく内容でした。しかし、人に酔ったのもありまして、しばらくメタルのコンサートに行くことはなくなりました。
一緒に行ったM君は大興奮で、その後メタル人生まっしぐら。順調に髪の毛を伸ばし、しまいには金髪に!就職活動の時に髪を切ってましたが、同時にロン毛のカツラを購入。その当時の購入価格が24万円で、YAMAHA DX-7が買える値段。彼にとっては必要な物だったのでしょう。
私はこのコンサート直後に飲食店でバイトをするために、あっさり髪切りました。
その後
ラウドネス自体はその後、アメリカ進出もして、もっとビッグな存在になっていきますが、私は結構薄いお付き合い。メタル自体にも一線を引く聴き方になってまして、今でも聴くメタルはメタリカぐらい。
ラウドネスが登場して一気にシーンが活性化したジャパメタのシーンも、「天才たけしの元気がでるテレビ」でテリー伊藤がいじってから一気にダサいものに。
当時メタル万歳!とか言っていた連中も、レベッカとかボウイが流行ると、あっさりそっち方面にシフト。一過性にも程がありますが...
ただし、シーンを活性化させ、海外進出まで行い、後継のミュージャシャン達のテクニックの底上げをさせたという意味でラウドネスの功績は大きいと思います。というか未だ現役だし。
個人的に好きな曲は、2ndに入っているラストの曲。元ネタは007のテーマだそうです。なるほど。