阪神ファンだった頃 ②
小学生の頃から、緩やかに阪神ファンだったのですが、江夏が抜け、田淵が抜けで、ミスタータイガースは掛布の時代。この時代はエースが巨人からやってきた小林。キャッチャーは田淵の後は若菜という時代が長く続きます。79年には田淵とのトレードで真弓がやってきて、ルックスも全体に向上。(掛布除く)相撲部屋と陰口を叩かれていたイメージを払拭していきます。 また80年には岡田が入団。徐々に黄金期のラインナップが揃ってくるわけですね。 優勝前夜の見ものは掛布VS江川の宿命の対決! 巨人への対抗心むき出しの小林の悲壮感あふれる投球。でも弱かった・・というか、巨人も強かったですけど、それ以上に広島カープの黄金期!衣笠・山本浩二という時代。勝てる要素は0でした。
後は、毎年のようにお家騒動。江本が監督批判してシーズン途中で辞めたりとか、監督は2年保つ人はまずいなく、優勝なんてのは想像すらできませんでした。
で、84年にはランディー・バース加入。藤田平や小林が引退。ですが、開幕投手が大洋から来た野村! ピッチャーは人材難で、目立つのは中継ぎの福間と抑えの山本和行。結果もBクラス。まぁ来年も似た様なもんだと思っていましたが・・・・
翌、85年からは吉田義男監督が再登板。前回の監督時は江夏と揉めたり、ケチな話が出回ったり(タバコ1本1本に名前書いてたとか・・)で、評判は芳しくなかったのですが・・・・蓋をあけると、チームは好調。 すっかり4番の地位を確立した掛布に、2年目で日本の野球にも慣れたランディー・バース!そして5番に固定された岡田。その他、大洋から首位打者、長崎を獲得。メンバーも絶頂期で、優勝できるラインナップが揃います。
江本、小林と去った後の女性人気ナンバー1。
打率322で、本塁打も34本! しかも俊足!
日ハムの西川に目標にしてほしいものです。
ランディー・バース
史上最強の助っ人。未だにバースを超える外人選手はいない!というか、打ってほしい場面では必ず打っていたイメージが。本塁打54本。
ご存知ミスター・タイガース!
この年はバースに記録は及ばなかったものの、4番にこの人が居たから、前後の成績が良かったのでは?この年、3割、40本!
掛布といえば、このポーズ。ポジション確認。
若大将もこの年開花!342の本塁打35本で、クリーンナップの重責を果たしました。
今までも「藤山寛美」という野次はありましたが、この年は「おかま」という野次もプラス!
という強力打線がシーズン通じて機能して、ピッチャーが打たれても打線が取り返すという、漫画みたいなシーンが続きました。
白眉は、巨人の槇原から打った、クリーンナップのバック・スクリーン3連発!!いまだに珍プレー好プレーで出てくる名シーン。
例年は、夏で勢いは失速するものなのですが、この年は日航機の事故で球団社長が亡くなったのがきっかけなのか、弔い合戦の意味もあって、ずっと首位をキープ。打線にひきづられて投手陣も好調。結局は2位と7ゲーム差でぶっちぎりの優勝を決めるのでした。という勢いのまま、当時最強の西武ライオンズまで日本シリーズを下し日本一!!これ以上はないというシーズンになりました。当時はハレー彗星の周期と一緒にされたものです。
で、ファンも21年ぶりとあって大阪は大騒ぎ、道頓堀に飛び込む奴が続出。その時にケンタッキー・フライドチキンのカーネル・サンダースの人形を道頓堀に放り込んだ奴がおりまして・・・その後優勝から遠ざかったのは、カーネルの呪いと呼ばれるようになりました。(ちなみに2009年に発見 その間にリーグ優勝2回)
と、まぁ大騒ぎだったわけですが、盛者必衰。翌年は掛布がデッドボールで長期の離脱。その翌年はバースが球団と喧嘩して退団・・そして長期低迷の時期を迎えるのですが・・という話はまた今度。
ちなみに私が一番プレイした「ファミスタ」は87年版! 真弓→田尾→バース→掛布→岡田・・と続く超強力打線で、ぶっちぎり強かったです。(ちなみにこの打線の年は実際には最下位)